最近、あるAI関連の動画を見ました。
そこでは、AIが人の表情を読み取って「元気がないですね、大丈夫ですか?」と声をかける未来の姿が紹介されていました。
一見すると近未来的な話ですが、実はもうすでに、私たちの生活の中にAIはじわじわと入り込んできています。
たとえば、私自身も仕事や副業の中でAIを使う機会が増え、資料の整理、言葉の整頓、構成の見直しなどをAIにサポートしてもらうようになりました。
使い始めたころは半信半疑でしたが、いまでは「自分が本当に言いたかったこと」「思考がこんがらがっていた部分」がAIによって整理され、結果として時間の節約にもなっています。
便利だと感じる反面、ふと思ったのです。
「AIがくれたこの答えは、自分の思考の枠から出ているだろうか?」と。
確かに、AIが導いてくれる答えは、自分が“欲しい”と思った答えに近いものが多いように感じます。
つまり、自分の意志や希望に合う答えをAIが探してきてくれる。
それはとても効率的で気持ちのいい体験ではあるけれど、
「もっと広い視点」「人の感情や環境の影響で揺れ動くような複雑さ」は、まだそこにはありません。
AIに導かれる答えと、人間が感じる揺らぎ
人間の感情はとても複雑です。
私たちは、意識せずに表情や態度、言葉の選び方で相手を気遣ったり、
逆に無意識のうちに感情が行動に出てしまったりします。
この“揺らぎ”こそが人間らしさであり、
だからこそ他者の気持ちに寄り添ったり、思いやったりできるのではないかと感じています。
AIがこの領域に入ってこようとしています。
それ自体は面白くもあり、少しだけ怖くもある。
なぜなら、「この人の顔、今日は少し曇っているから、こう声をかけてみよう」といった配慮が、
AIによって自動的に処理されるようになるかもしれないからです。
でもそれは、本当に“心の機微”を理解しているといえるのでしょうか。
人間が無意識に行う“間”や“沈黙”の力、スキンシップから伝わる温もり、視線のやりとり。
こうした“数値化できないもの”が、私たちのコミュニケーションを成り立たせているのだと思います。
AIが進化するほど、求められる「人間らしさ」
私は医療・看護の現場で長年働いてきましたが、そこでは言葉だけでなく、相手の呼吸、手の温度、目の動きなど、五感すべてを使って相手の状態を感じとることが必要になります。
たとえ患者さんが「大丈夫」と言っていても、手の冷たさや表情のこわばりから、内心の不安を読み取る。
これらは、数値では測れない「経験からくる感覚」です。
AIができることが増える一方で、人と人の間にある「肌感覚」や「感情のずれ」への気づきは、まだAIが踏み込めない領域です。
逆に言えば、そこに“人間らしさ”の価値が残っているともいえます。
AIの発展によって、事務作業や効率化が進み、「人にしかできないこと」だけが残っていくとすれば、
そのとき私たちに問われるのは、
「あなたは、何を届けられる人ですか?」ということなのかもしれません。
次の世代に伝えたいこと:未来を生きる力
私はもう定年が近づいている年齢です。
だからこそ、これから社会に出ていく子どもたちや若い世代には、ぜひ伝えたいことがあります。
それは、「AIができること」と「人間にしかできないこと」をしっかり区別して、
その両方に触れながら、自分の生き方を見つけていってほしい、ということです。
学校教育ではなかなか体験できない「人との関わり」や「判断に迷うグレーな状況」こそが、
人を成長させると私は思っています。
今後ますます、AIが職業の選択肢を変え、働き方を変え、
もしかすると人との関係性まで変えていくかもしれません。
でも、その変化を恐れるより、
「どんな風にAIと付き合うか?」を考えられる人が、未来をつくっていくと信じています。
AIと共に生きる時代、“わたし”を見失わないために
AIがどんなに進化しても、それをどう使うかは、結局のところ人間次第です。
私自身も、今こうしてAIを活用して記事を書き、発信をしています。
それによって「できなかったことができるようになった」という実感もあります。
けれど同時に、自分自身の視点や感覚を置き去りにしないようにと、いつも意識しています。
未来は変わっていく。
けれど、私たちが「どうありたいか」は、自分で選ぶことができます。
だからこそ、これからの時代に必要なのは、
AIを恐れることではなく、
「自分を知る力」と「人とつながる力」なのかもしれません。

